2011-01-16
「西の高山」—建具のまち加古川国包民俗誌—
「西の高山」—建具のまち加古川国包民俗誌—
井谷 亜沙美
【要旨】
本研究は河川交通とその流域における産業発展の歴史と現状について、兵庫県加古川市上荘町国包地域をフィールドに実地調査を行うことで、加古川舟運と国包建具発展の関連性とその歴史・現状を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。
1、全国で活用されていた河川交通によって、筑後川の大川家具・木曾川の飛騨家具など多くの産業の発展が支えられた。
2、加古川舟運の開発は、①政治・経済の中心が京都から大阪へと移って丹波道の重要性が薄れ、加古川の通船が考えられはじめたこと、②羽柴・池田氏という播磨一国を領有する大名の出現、③高砂湊の商業港としての整備、の3つの理由により進められた。
3、加古川舟運における阿江与助と西村伝入斎による活躍は、加古川沿岸の河岸はもちろん、流域全体に多大なる恩恵をもたらした。
4、国包建具は、交通の要衛・材料の集散地という立地条件に恵まれたことから、唐箕職人がうまれ、その後建具へと発展していった。
5、伝説の名工といわれた「磯島」の存在が、国包の建具職人の技術・職人気質をより一層高めた。
6、播州鉄道の開通により高瀬舟による河川交通は途絶えたが、より多くの物資を効率よく運ぶことが出来るようになったため、販路が広がった。
7、国包建具の発展は、立地条件だけでなく、三木の金物職人の存在も大きい。彼らに直接カンナやノミを注文出来たことで、独自のデザインを生み出してきた。
8、国包には、県内の稲美や小野、三木以外にも、岡山から職人が技術を学びにきていた。
9、現在は住環境の変化による建具需要の減少・後継者問題などの問題点もあるが、日用品との融合・イベントでの販売や展示などに積極的に参加し、国包建具の技術と誇りを守り続けている。
【目次】
序章 河川交通と木工ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1
はじめに......................................................1
第1節 河川交通とは..........................................1
第2節 建具とは..............................................2
第3節 日本に存在する木工のまち..............................2
(1) 日本一の木工のまち「飛騨高山」
(2) 家具の一大産地「大川」
第4節 フィールドとしての国包................................5
第1章 加古川舟運と国包ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー8
第1節 加古川舟運............................................8
(1) 加古川舟運の開発
(2) 加古川舟運と高瀬舟
第2節 加古川舟運と国包.....................................17
第2章 国包建具の起こりと繁栄ーーーーーーーーーーーーーーーーーー19
第1節 国包建具の起こり.....................................19
第2節 伝説の名工「磯島」.....................................21
第3節 国包建具の職人技.....................................22
第3章 加古川舟運の終焉ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー24
第1節 船座の廃止...........................................24
第2節 鉄道の開通...........................................24
第3節 水路から陸路へ.......................................25
第4章 国包の現状ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー27
第1節 畑竜建具製作所.......................................27
第2節 高橋建具製作所.......................................28
結語 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 31
文献一覧 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 32