136. キリシタン殉教から400年 日本ではじめての列福式が本日長崎で

 2008年11月24日掲載  2014年 1月22日再掲


カトリックには「聖者」と「福者」があるようです。聖者に叙せられることは列聖、福者に叙せられることは列福というそうです。

福者の認定には通常は数十年を要し、かのマザーテレサは例外的に6年で福者に叙せられたとあります。

今回の日本での列福式で福者に叙せられる方々は、1600年代前半に殉教された方々で、約400年の時を経ていることになります。カトリックの歴史も長いですが、列聖・列福までに要する時間もとても長く、神の時間が私たち人間の時間と比較して非常にゆっくりと流れているとの印象を受けます。

なお、長崎で有名な日本二十六聖人は同時代の殉教ではありますが、1862年に聖人として列聖されています。それでも約250年の時を経ていることになりますが。

ともかく、本日ではじめての日本初の列福式ということで、日本にとっては西洋世界から文化的に注目された、一つのエポックとなることは間違いないでしょう。

列福式前夜祭のミサ 長崎・浦上天主堂で 
引用の始まり
国内初となるカトリックの儀式「列福式」。 式では、江戸幕府の弾圧で殉教した188人が「聖者」に次ぐ尊崇の対象の「福者」に列せられる。司祭・修道者5人と一般信者183人。
                                     引用の終わり

列福式:188殉教者、全国から2万7000人参列へ−−長崎
引用の始まり
列福されるのは、国東半島(大分県)出身で、日本人で初めてエルサレムを巡礼したペトロ・カスイ岐部(1587〜1639年)▽天正遣欧少年使節の一人、ジュリアン中浦(1568?〜1633年)▽毛利輝元の家臣で萩城下(山口県萩市)で殉教した熊谷元直(?〜1605年)ら。5人の司祭・修道士以外は一般信徒で、女性62人、8歳までの子供22人も含む。
                                      引用の終わり

天正遣欧少年使節
引用の始まり
天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案。1590年(天正18年)に帰国。使節団によってヨーロッパの人々に日本の存在が知られる様になり、彼らの持ち帰ったグーテンベルグ印刷機によって日本語書物の活版印刷が初めて行われた(これをキリシタン版という)。

使節
伊東マンショ(正使) 大友宗麟の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。
千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代。純忠の甥で晴信の従兄弟。後に棄教。
中浦ジュリアン(副使) 後年、司祭に叙階。1633年、長崎で穴づりによって殉教。
原マルティノ(副使) 後年、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。
                                  引用の終わり




文書リストに戻る ホームに戻る