エジソンは直流発電を、そしてテスラは交流発電を主張した。最初にエジソンの直流発電が営業的にスタートしたが、直流では遠方に送電する場合にエネルギーロスが大きいのに対し、交流では遠方までの送電に利があったため、交流発電が主流となった。テスラの功績である。
エジソンが交流発電に反対した理由は、複数の交流発電機より送電した場合に、その発電周期を完全に一致させないと、送電経路上でプラスとマイナスが電気的にショートしてしまうというもの。しかし実際には、複数の発電機が同じ電線につなぎこまれた場合、自然に発電周期が同期することがわかり、この問題は解決された。
Google 7月10日
ニコラ・テスラ(Wikipedia)
引用開始
1856年7月10日 - 1943年1月7日)は、電気技師・発明家。交流電流、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)の提唱でも知られる。磁束密度の単位テスラにその名を残す。
1884年にアメリカに渡り、エジソンの会社・エジソン電灯に採用される。当時、直流電流による電力事業を展開していた社内にあって、テスラは交流電流による電力事業を提案してエジソンと対立。1年ほどで職を失うこととなる。
1887年4月、独立したテスラは、Tesla Electric Light Company (テスラ電灯社)を設立し、独自に交流電流による電力事業を推進した。同年10月、交流電源の特許を受諾される。
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