256. やきもの作り 細川護煕元総理大臣が教えてくれた「自ら習う」ということ

 2010年 1月28日掲載  2014年 4月19日再掲


(思いは通じるもの、行動しなければ入り口にも到着しない)
無精ひげで、一見無頼漢風な感じの、世間体を気にしない陶芸家を一方的に師匠と決め、押しかけて弟子となる。

(石の上にも1年半、思い強ければ上達も早い)
轆轤(ろくろ)の修行中、ずっといわれ続けたことは「あほなオッサンやな」と「あかん、ほかせ(捨てろ)」「しつこいオッサンやな」の3語だけ。朝から晩まで轆轤を挽いた。

(免許皆伝)
「もうこんでええやろ」と言われ、その日を区切りに野生の王国とおさらばした。


細川元首相が師と見込んだのは辻村史朗という陶芸家である。どこの世界でもそうであるが、ある程度の技量があれば、人当たり良く立ちまわれば有名作家となった方かもしれない。しかし、辻村氏は、納得がいくやきものを焼くことに全霊を投入されたようだ。ぼろ屋に住み、気に入らないやきものは壊して捨てる。納得のいくやきものしか残さない。まさに職人気質のかたである。

この辻村氏をみいだし、氏に惚れ込んでそのぼろ屋に押しかけて修行をされた細川元首相も大きな器である。毎日毎日同じことの繰り返し。昨日と今日を比べても進歩があるようには見えないが、そこにすべてをかけて打ち込むことにより、1年半という短い期間で免許皆伝となった。大したものである。

この細川元首相の生き方には学ぶところが多い。何かを極めたいときに、その何かの全体像を見てしまうと、そのあまりの大きさに圧倒され、どこから手をつけていいのか見当がつかなくなる。このようなときには先達に頭を下げて教えを請い、指示された道を信じて歩む。

1年半という短い期間でひとつのことを成し遂げることは到底できないとは思うが、5年、10年の内には専門家や先生と呼ばれることも夢ではないと考える。

大学は4年、そして大学院の修士課程が2年、博士課程が3年。4年では心もとない場合もあるが、修士課程を終えるとそれなりの信用がつく。そして、博士課程を修えると、まさに専門家である。しかし、この勉学の過程において、整えられたカリキュラムと、温かく指導してくださる先生方がいらっしゃることを忘れてはならない。

人生には何物をも忘れ去り、一つのことにがむしゃらに打ち込む期間が必要である。元総理大臣の細川護煕氏もすべてを横において一つの目標に向けて頑張りぬいた。

本日の私の履歴書から、「学ぶ」姿勢の大切さについて改めて教えられた。

なお、陶芸家の辻村史朗氏はまだWikipediaには登録されていない。




日本経済新聞 細川護煕(ほそかわもりひろ) 私の履歴書
1月28日より引用させていただきました。



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