第129編の出所はともかくとして、求め続けることは大切なことです。下の文章の中にもそういう真実が潜んでいるとほほえましく拝読いたしました。
飽和してしまってはそこで進歩が止まります。人は動的非平衡の中に身を置いてこそ変化や進歩、そして神が与えた試練への悟り?があるでしょう。
ラバQ レッスン2
神父が修道女に「送っていくよ」と申し出ました。車に乗った修道女が足を組むと、服から足がはみ出ていました。危うく事故を起こしかけた神父が車をコントロールすると、こっそりと手を彼女の足へと忍ばせたのです。
すると修道女は言いました。
「神父様、第129編を覚えていらっしゃいますか?」
神父はすかさず手を引きましたが、ギアを変えたあと、また彼女の足に手を忍ばせました。
「神父様、第129編を思い起こしくださいますか」
「すまない。肉体は本当に弱いものだ」
神父は謝りました。
修道院に到着すると修道女は立ち去り、神父は教会へ第129編を調べに行きました。
するとそこにはこう書いてありました。
「先へ進め、そしてさらに求めよ。そうすれば大きな喜びが得られるであろう」
教訓: 仕事のことでしっかり情報をつかんでいないと、利益のある機会を見逃すことになる。
「マタイ伝二十六章六十四節」より
求めよ、さらば与えられん。
たずねよ、さらば見出されん。
門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むるものは得たずねぬる者は見出し、
門をたたく者は開かるるなり |
|
|
|