「いぶきゅう」。一流の山水画家であると聞き及んでいた。たしかに、Webで調べてみると山水画や書が多くあらわれる。私は長年、尹浮九(いぶきゅう)と信じて疑っていなかったが、伊孚九(いふきゅう)が圧倒的に多い。いままでWebで情報を取れなかった理由がここにあった。
さて、この伊孚九の作品の価格に興味があった。約300年の歴史とその高名に支えられ、非常に高価な書画となっていると推定された。そこで調べてみたのだが、さすがに流通している作品はない。
たとえどんな小品でも、世に出ると高い価格がつくであろう。一度、実物を見てみたいものだ。「したいことリスト」には多くの項目を記しているが、同時に同じ項目が「まだできないリスト」にも記載されている。生きているとはこういうものかもしれない。満足したらそこで止まる。
伊孚九を真近でご覧になったことがありますか? ご覧になったことがあるとしたらあなたはその道に非常に明るい方だとお見受けいたします。
伊孚九(Wikipedia)
伊孚九(い ふきゅう、1698年-1747年?)は、中国清代中期の貿易商・画家。貿易商として長崎に度々来日し南宗画の画風を伝えた。池大雅や桑山玉洲らが私淑し、その後日本の文人画壇に広まった。
諱を海、孚九(桴鳩)は字。号は?野・匯川・成堂(也堂)・雲水伊人などと称した。江蘇省蘇州府山塘の人。
兄韜吉から信牌(信任状)を受け継ぎ、享保5年(1720年)に初めて長崎に来舶。以降、延享4年(1747年)までに6度ほど渡航した。主に馬を商う貿易商で、清朝国禁の軍用馬を幕府の御用馬として舶載してきた功労により褒賞を受けた記録が残されている。
余技として南宗画風の山水画をよくした。長崎の清水伯民が門弟となっている。桑山玉洲は『絵事鄙言』で「舶來清人中の逸格」と絶賛。また『近世名家書畫談三編』でも北宗画を伝えた沈南蘋とともに最上位に置かれている。池大雅や野呂介石、悟心元明らが、私淑し大きな影響を受けた。
孚九の名を全国に広めるに『伊孚九・池大雅山水画譜』が大きな役割を果たした。この冊子は韓天寿が縮模し画譜としていた稿本を、天寿没後木村蒹葭堂を介して中野素堂が刊行したものである。
なお、孚九と続いて渡来した費漢源・張秋谷・江稼圃を合わせて来舶四大家と呼ぶ。
代表作 [編集]
「離合山水図」重要文化財 松阪市個人所蔵
さらに詳しく知るには、
http://mgw.hatena.ne.jp/?http://www.pref.mie.jp/bijutsu/hp/event/catalogue/mie_kinsei/yamaguchi.htm
伊孚九と池大雅周辺 山口泰弘 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|