350. 9月1日は防災の日 地震への備えに決意を新たに 1854年の大地震のあと、大地にはエネルギーが蓄積し

 2010年 8月25日掲載  2014年 5月 5日再掲


防災の日、9月1日が今年も近づいてきました。9月1日は、立春から数えて210日目にあたることから二百十日といわれ、このころに大きな台風が来るとされています。が、実際には1923年9月1日の関東大震災に被害を忘れないために、「防災の日」とされています。「災害は忘れたころにやってくる」は寺田虎彦の残した有名な言葉です。

以下にWikipediaより近畿に関係する地震を抜き出しましたが、その数の多いこと多いこと。日本はプレートのぶつかる位置にあるため、南海地震、東南海地震、東海地震が心配されているところでもあります。これらの地震は、歴史的にみると2世紀に1度程度、しかも多くの場合は連動して起こっているようですが、前回の1854年の地震から200年目が近づいてきますので、もうそろそろかというのが地震学者の考えるところでしょう。

南海地震、東南海地震が発生した場合には、近畿地方は震度5の地震に見舞われるとこのサイトに記されています。1995年の阪神淡路大震災並みの揺れが近畿一円を襲うことになるわけです。

話は飛びますが、神戸にある六甲山(931.25m)の隆起は100万年前にはじまったとされています。それまでは、平野だったのですね。1000年に約1mずつ隆起している勘定になります。先の阪神淡路大震災で12cm隆起しましたので、単純に考えますと、阪神地域も約100年強に1回は大地震に見舞われている勘定となります。先の震災の後、新聞紙上などで「このような震災はあと1000年は起こらないであろう」と言われたのは全くの気休めではないかと思われます。その証拠に、最近の地震を挙げますと、

1596年 文禄の地震とそれによる津波により、兵庫の町は全滅
1854年 嘉永7年に地震
1995年 阪神淡路大震災

地震が比較的少ないとされる阪神地区ですが、200年に一度は大地震に襲われていることになります。防災の日を前に、もう一度1995年を振り返り、身の回りの安全を確保しようと思い立ったところです。




地震の年表(Wikipedia)より、近畿に関するものを抜粋

5世紀
• 416年8月23日 遠飛鳥宮(大和国/現・奈良県明日香村)で地震。日本書紀に「地震」の記述。日本史上最初の地震の記録。
6世紀
• 599年5月28日 大和国(奈良県)で地震。 - M 7?、家屋倒壊。日本書紀に記述。日本の地震被害の最初の記録。
7世紀
• 684年11月29日 白鳳南海地震 - M 8.0~8.3、死者多数。土佐で津波により大きな被害。田園(約12km²)が海面下へ沈下。地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。
8世紀
• 701年5月12日 丹波で地震、若狭湾の冠島と沓島が海没したと伝えられる。
• 734年5月18日 天平地震(五畿七道地震) - M 7.0、死者多数。
9世紀
• 868年8月3日 播磨・山城地震 - M 7台。
• 887年8月26日 仁和南海地震 - M 8.0~8.5、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり。地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。
10世紀
• 938年5月22日 京都などで地震 - M 7.0、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。
• 976年7月22日 山城・近江地震 - M 6.7以上、死者50人以上。
11世紀
• 1096年12月17日 永長東南海地震 - M 8.0~8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害など。
• 1099年2月22日 康和南海地震 - M 8.0~8.5、死者数万と推定。土佐で津波により大きな被害。
12世紀
• 1185年8月13日 文治京都地震 - M 7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。鴨長明が『方丈記』で詳述。
• 1200年頃 地質調査によれば南海・東南海・東海地震が発生。
13世紀
14世紀
• 1360年11月21日・22日 紀伊・摂津地震(東南海地震?) - M 7.5~8.0、死者多数。津波あり。
• 1361年8月3日 正平(康安)南海地震 - M 8.0~8.5、死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害。
15世紀
• 1449年5月13日 山城・大和地震 - M 6.5、死者多数。
16世紀
• 1510年9月21日 摂津・河内地震 - M 6.5~7.0、死者多数。余震が2か月あまり続く。
• 1586年1月18日 天正大地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8~8.1、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1か月以上続く。
日本・17世紀-19世紀 [編集]
17世紀
• 1605年2月3日 慶長地震(東海・南海・東南海連動型地震) - M 7.9~8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万~2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。
• 1662年 6月16日 近江・山城地震(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震) - M 7.4~7.8、死者数千人。
18世紀
• 1707年10月28日 宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震) - M 8.4~8.7、死者2,800~2万人以上、倒潰・流出家屋6万~8万軒。関東から九州までの太平洋岸に津波、伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。地震から49日後に富士山の宝永大噴火。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。
19世紀
• 1819年8月2日 伊勢・美濃・近江地震 - M 7.3、死者多数。
• 1830年12月19日 京都地震 - M 6.4、死者280人。二条城など損壊。
• 1854年
o 7月9日 安政伊賀地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7.6、死者約1,800人。
o 12月23日 安政東海地震(東海・東南海地震) - M 8.4、死者2,000~3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号沈没。
o 12月24日 安政南海地震 - M 8.4、死者1,000~3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。
安政東海・南海地震は32時間の時間差で発生した。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で3,000回近く。
o 12月26日 豊予海峡で地震 - M7.4。東海・南海と併せ、4日間で3つの巨大地震が発生。

20世紀
• 1916年11月26日 明石付近で地震 - M6.1、死者1人。
• 1925年5月23日 北但馬地震 - M 6.8、火災発生、死者428人。
• 1927年3月7日 北丹後地震 - M 7.3、死者2,925人。
• 1936年 2月21日 河内大和地震 - M 6.4、死者9人。
• 1948年
o 4月18日 和歌山県南方沖で地震 - M 7.0。
o 6月28日 福井地震 - M 7.1、死者・行方不明者3,769人。
• 1952年 7月18日 吉野地震 - M 6.7(旧M 6.8)、死者9人。
• 1955年7月27日 徳島県南部で地震 - M6.4、死者1人。
• 1995年 1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - M 7.3(2001年4月23日改訂・旧M 7.2)、兵庫県南部で最大震度 7、死者・行方不明者6,437人。当初は最大震度6だったが、実地検分により7に修正された。戦後最悪の震災。




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