382. 未知との遭遇 そのとき人々は? 宇宙に満ちているというエーテルを発見することができなかった

 2010年10月 4日掲載  2014年 5月 5日再掲


はるか遠方の星から地球に光が届くのは、その光が伝搬される何らかの場がなければならないと、多くの科学者が考え、思い込み、そして実験を重ねてきた。その伝搬の場はエーテルと名付けられ、多くの科学者がその存在を追い求めた。しかし、多くの実験にも関わらす、残念ながら、誰もエーテルを見つけることは出来なかった。

ローレンツという科学者は宇宙にエーテルは存在し、宇宙空間を一定速度で流れてはいるが、その流れが観測にかからないように時空間が変化するとして、時空間にローレンツ変換を施すと観測結果に変化が現れないとの提案をした。これが、その当時の科学の延長線上で考えられる結論である。

一方、アインシュタインは、そもそもエーテルなどは存在しない。光の速度は、どこで、どの方向を向いて測っても一定であるという発想の転換をし、特殊相対性理論を導いた。この理論が正しいことは後の科学実験で確かめられていく。面白いのは、この特殊相対性理論の中に、ローレンツ変換式が結果的に取り込まれていることである。

アインシュタインが特殊相対性理論を発表したときの人々の驚きがどのようなものであったかが、残念ながらよくわからない。積年の問題がやっとのことで解決したと相対性理論を科学者たちがすんなりと受け入れたとも思えないのだが。100年近く前のことではっきりとはしないが、学会が混乱したという話はないようである。

人というものは固定概念にとらわれると新しい発想が出てこないものである。何かを発明しようとすると、すべてのことを忘れ、その原理にまでさかのぼると案外簡単に問題が解けることになるのかもしれない。道に迷った時は、いったん出発点に帰り(戻れればの話ではあるが)、再度、探索の旅に出たほうがよい。囲碁で岡目八目という言葉があるが、ある問題にどっぷりとつかってしまった人間には、その本質や解答が見えないことも多いのではないだろうか。





エーテル(Wikipedia)

エーテル (aether, ether, luminiferous aether) は、主に19世紀までの物理学で、光が伝播するために必要だと思われた媒質を表す術語であった。現代では特殊相対性理論などの理論がエーテルの概念を用いずに確立されており、エーテルは廃れた物理学理論の一部であると考えられている。

空間に何らかの物質が充満しているという考えは古くからあったが、17世紀以後、力や光が空間を伝わるための媒質としてエーテルの存在が仮定された。その端緒の一つはデカルトに見られ、デカルトはぶどうの樽のぶどう酒のようにあらゆる物質の隙間を埋める「微細な物質」を想定してそれが光を伝達させるのだとした。また惑星はその渦に乗って動いていると考えた。

エーテルの否定

「エーテルの風」の実験結果についてエーテルの風が検出されなかったことは、エーテルの概念そのものを否定する意見を生み出した。そして、アインシュタインの特殊相対性理論はエーテルの実在性を根本から完全否定するに至った。ローレンツがエーテルを基準とした絶対座標系の存在を考えたのに対し、アインシュタインはエーテルも含めた絶対座標系及び絶対性基準は特殊相対性理論を根本から否定するとし、その存在を否定した。これは「相対性」理論と称される所以となっている。

アインシュタインは、より根本的な原理から「長さ」や「時間」といった性質を導出できるはずであると考えた。そして、ローレンツ変換をマクスウェルの方程式から切り離し、時空間の性質を表す基本的な法則であると仮定した。また、アインシュタインは「エーテル」を物質を表わす言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在せず、従って「エーテルに対する相対運動」を考えることは無意味となる。

アインシュタインが相対性原理を最も根本的な原理として考えたのに対し、特殊相対性理論の基礎を造ったローレンツは相対性原理の根本がエーテルであると考え、「長さの収縮」や「時間の遅れ」に表されるように、物体の特性はエーテル中の運動により変化すると考えた。




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