見所がいっぱいの伏見桃山(2014年5月31日)


Wikipediaからの引用

御香宮神社
 神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀る。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。 また社務所内に小堀政一(遠州)が伏見奉行所内に作ったとされる庭園が移設されている。

明治天皇陵
 明治45年(1912年7月30日明治天皇が崩御。同年(大正元年)9月13日に東京・青山の帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)にて大喪の礼が執り行なわれた後、9月14日に埋葬された。
 墳丘は古式に範を採ったとされる上円下方墳で、下段の方形の一辺約60メートル、上円の高さ6.3メートル、表面にはさざれ石が葺かれている。方形の墓坑を掘って内壁をコンクリートで固め、その中に棺を入れた木槨を納めた。槨内の隙間には石灰を、石蓋をしてコンクリートで固めた。上円下方墳の墳形は天智天皇陵がモデルにされたという。幕末孝明天皇についで火葬にせず、天武天皇以前の古制に戻した。

桓武天皇陵
 延暦25年3月17日806年4月9日))は、日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日781年4月30日) - 延暦25年3月17日806年4月9日))。

伏見桃山城
 伏見城は3度に渡って築城され、最初の城は朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉隠居後の住まいとするため伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設を始めた。このとき築かれたものを指月伏見城、後に近隣の木幡山に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別され、さらに木幡山伏見城は豊臣期のものと、伏見城の戦いで焼失した跡に徳川家康によって再建された徳川期とに分けられる。豊臣期の伏見城は、豪華な様式が伝わる。

寺田屋
 寺田屋事件とは、江戸時代末期の山城国紀伊郡伏見(現在の京都市伏見区)の旅館・寺田屋で発生した事件である。以下の2つの事件が寺田屋事件と呼ばれる。
  1. 文久2年(1862年)に発生した薩摩藩尊皇派等の鎮撫事件。
  2. 慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。
 この寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し、現在の建物はその後再建したものである


月桂冠大倉記念館
 濠川畔の月桂冠発祥地に建つ酒蔵(1909年(明治42年)築)を改装し、創業350年にあたる1987年(昭和62年)に開設された、伏見の酒造りと月桂冠をテーマとする博物館である。館内のルートは酒造り工程順になっており、館所蔵である京都市有形民俗文化財の酒造用具類6,120点のうち400点、焼印・朱印・銅板・金型などの出荷用具、樽造り用具まで常設展示する。



路線図




地図



 
掲載した写真

御香宮神社 明治天皇陵
桓武天皇陵 伏見桃山城
寺田屋 黄桜カッパカントリー
月桂冠大倉記念館 十石舟



写真集

濃霧注意報の兵庫県明石(途中駅)   写真
伏見桃山(下車駅)              写真
御香宮神社            写真1  写真2  写真3
明治天皇陵・桓武天皇陵へ  写真1  写真2  写真3
伏見桃山城へ           写真1  写真2
伏見の町へ            写真
伏見の町と酒蔵群        写真1   写真2
寺田屋               写真
十石舟と酒蔵群         写真1  写真2  写真3



 
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