緑の三千院、桜の哲学の道・南禅寺・琵琶湖疏水
                      (2012年4月10日)


Wikipediaより

三千院
 三千院は8世紀最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本(現・大津市)に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移ったものである。

銀閣寺
 室町幕府8代将軍・足利義政は、1473年文明5年)、嗣子足利義尚に将軍職を譲り、 1482年(文明14年)から、東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っている。

大文字山
 京都東山の一峰で、東山の主峰。標高472メートル。比叡山を東山に含むか否かについては諸論あるが、含めないとした場合、最高峰が如意ヶ嶽である。京都府と滋賀県の県境に位置し、山域は北白川、浄土寺、鹿ヶ谷にまたがる。京都側の麓はおおよそ、今出川通丸太町通の東端。

哲学の道
哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われる。哲学の道の桜は近くに居を構えた日本画家・橋本関雪と妻・よねが、1922年大正11年)に京都市に苗木を寄贈したのに始まる。

南禅寺
 南禅寺の建立以前、この地には、後嵯峨天皇文永元年(1264年)に造営した離宮の禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった。「禅林寺殿」の名は、南禅寺の北に現存する浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺(永観堂)[1]に由来する。

琵琶湖疏水
 琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。両疏水を合わせ、23.65m3/sを滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。

インクライン
 1891年から1941年まで運用された琵琶湖疏水のインクラインで、高低差がある水路間で船を往来させるため、京都市の南禅寺船溜と蹴上間の傾斜区間に軌道を敷設し、ワイヤーで牽引される「船受枠」という台車に船を載せ昇降させた。




地図

三千院



鴨川〜蹴上






 
掲載した写真
三千院 三千院
鴨川 銀閣寺道
大文字登山道 哲学の道
南禅寺 蹴上へ
琵琶湖疏水 インクライン



写真集

大原・三千院    写真1   写真2
鴨川「沿い      写真
銀閣寺道へ     写真
大文字山へ     写真
哲学の道       写真
南禅寺        写真
蹴上          写真1   写真2

 
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